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雑貨屋、Cafe、本屋、花屋、インテリアなどの名古屋のSHOP、クリエーターを紹介する雑貨屋マカロンTVの管理人オーリィのブログ。現在は育児奮闘中。ドタバタな毎日を記録。

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予想外のシュタイフ博物館 ドイツ8

アルガーテ・シュタイフ博物.jpg

ツアーの中に、テディーベアを作った「アルガレーテ・シュタイフ博物館」の観光半日というプランが盛り込まれていた。
あまりテディーベアに興味の無かった私は、「このコースは要らないでしょうー。」とツアー仲間の女の子達とバスの中でもぼやいていた。今日はとてもいい天気で青空も広がり最高の観光日和に、なぜにクマを見に行かなければならないかと。

到着した場所は、周りにはあまり観光地らしい物はない片田舎のようだった。博物館は、つい最近リニューアルしたばかりでまだあまり知られていなくて、他のツアーでもきっとコースには組まれていないでしょうと説明があった通りあまり人もいなさそうだった。

逆にのびのびできるのではと気持ちを切り替えた私は、博物館に入る時間まで少し館の周りを歩いてみることにした。
ん??目に飛び込んできたのは、駐車場を案内する看板。なんだか、カワイイ!そして案内図などのデザインがとてもキレイで素敵なのだ♪
近くに建っている家らしき建物も雰囲気があって惹かれる♪
さっきまでのぼやきがうそのように飛んで上機嫌になりはじめた頃、入館の時間がきた。

中は、20人くらいずつ進むようになっていて「海に沈んだ3000体のテディーをみんなで探しに行こう」のお話にそって、アミューズメントパークのように説明を聞きながらどんどん先に進んで行くというシステムになっていた。

シュタイフ社のぬいぐるみ達.jpg

クマのぬいぐるみばかりかと思ったら、あらゆるぬいぐるみがワンサカと現れた。どれも夢があってカワイイだけではない愛くるしさを持ち、こちらにズンズン歩み寄ってくる。
私は、あれよあれよという間に、そのぬいぐるみの世界にどっぷりハマっていった。。。ハッと気づくと、口をポカンと開けて小さい子が夢を見ているかのようだった。

我を忘れる.jpg
思いの他、おおいにはしゃぐオーリー

ストーリーが終わり、後は好きなだけ館内の展示を見てくださいということになった。我を忘れて、ぬいぐるみと戯れた。。

そういえばストーリーの一場面で、クマ達が世界のいろんな国の衣装を着てその国を少しずつ紹介しているようなところがあったのだけれど、日本は何故かプレイステーションや漫画、アニメーションに登場するキャラのフィギュアなどが畳らしきボードの上に置かれ、異色を放っていた。
ドイツから見て、日本てこういうイメージ??少し複雑な気持ちになった。

ドイツでの日本のイメージ.jpg

帰りにはツアーの仲間全員が、シュタイフ社の紙袋を下げていた。
もちろん私も、購入してしまった。
あんなにブーブー言っていたのに、しまいには「この子と目があったのー」とか言いながら(^−^;)
世界限定のテディーベアをゲットしてきました。

テディーベアができるまでのお話しはこちらから
私のようにテディーベアのことをあまり知らない人の為に
世界で一番最初のぬいぐるみを作った会社「アルガレーテ・シュタイフ社」の紹介、テディーベアができるまでをお話ししましょう。

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 1歳半の時にポリオで右手両足の自由を奪われたマルガレーテ・シュタイフ(シュタイフ社の創始者)は生涯車椅子で生活をしていたが、前向きな彼女は弦楽器を練習して人に教えたり、工夫してミシンを使いこなしていた。
 姉妹でフェルト製品の製造販売店を営んで、そのフェルト製品はクオリティが高く大変真心がこもっていると、とても人気があった。

 1880年マルガレーテが33才の時、義理の妹へのプレゼントにと雑誌で見た「象のイラスト」をもとに得意のフェルトで針刺しを作ってみたところ、そのフェルトの象は、当時主流だった木馬やブリキのおもちゃと違って暖かみがあり、手触りがよく、子供たちに大変人気が出て、これが近所の評判となり5年後には5000体余を生産する程の規模となり製品の種類もロバ、ブタ、ウマ、ラクダ等の色々な動物へと広がっていった。
 その頃、マルガレーテの6人の甥達もシュタイフ社に入社し、それぞれの得意分野で活躍していた。

 ある時、甥の一人リチャードは動物園でスケッチしたクマのデッサンを見てひらめいた。

・・・このクマを商品化できないか・・・・
 
 それまでのフェルトのぬいぐるみとは違い人間と同じように手足が動き、ふさふさした毛の友達のようなクマのぬいぐるみを作りたい。。。。
試行錯誤の結果ようやく1匹のクマのぬいぐるみが誕生した。これが世界ではじめて誕生したクマのぬいぐるみとなる。

シュタイフ社は1903年ドイツのライプチッヒで開かれた見本市に、やっと完成したクマのぬいぐるみを出品した。ところが、おどけた表情のそのクマのぬいぐるみは、今までのフエルトのものよりも値段が高く重さもあり、まったく人気が集まらなかった。
 リチャードはひどく落胆しあきらめかけていたが・・・見本市の最終日にアメリカのバイヤーから
「こういう可愛らしいクマこそ、子供たちが一緒に抱いて眠りたいと思うぬいぐるみなんです!」
と、3000体ものオーダーが飛び込んできた!
 こうしてアメリカに渡った3000体のクマのぬいぐるみ達が、後に大ブームを巻き起こすことになったのだ。

 狩猟好きで有名な第26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの晩餐会のテーブルで、なにか面白い演出をしようと考え出されたのが、大統領の熊好き(狩猟好き)に因んでテーブルにクマのぬいぐるみを置くというアイデアのものだった。
 その演出は大成功!大統領は思わず聞いた。
「私はクマには詳しいがこれは何という種類のクマかね?」
すかさず列席者の一人が言いました「テディのベア」さ!(「テディ」はルーズベルト大統領の愛称だったのだ)
 そのクマのぬいぐるみはもちろんシュタイフ社製で会場は拍手喝采だったとか。それから、シュタイフ社で作られるクマのぬいぐるみはルーズベルト大統領のお気に入りとなり、テディベアと呼ばれるようになった。

 時を同じくして大統領が大好きな狩猟に行った時、ようやく現れた1頭の小熊を撃たなかった、という美談がワシントンポスト紙に風刺画入りで掲載された事もありテディベアの人気がますます高まったと言われている。
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